• 冬至
    数の子、だれの子?

    卵の数は数万粒。数の多さから子孫繁栄を連想させ、縁起物としておせち料理に欠かせない数の子。
    アイヌの言葉で「かど」という魚の卵なので、「かどの子」が語源といわれています。
    数の子の親魚を選びなさい。

    ①スケトウダラ ②トビウオ ③ニシン ④ボラ

    ▼解答と解説コラム▼
    【解答】③ニシン
    【解説】ニシンは伝説の魚だ。漢字を当てると「鯡」。魚に非ず―。
    そもそもは江戸時代に米のとれない蝦夷(えぞ)地の松前藩が、代わりにニシンを年貢として徴集したことに由来している。
    江戸から明治にかけての春、北海道に押し寄せたニシン。食用にしても余りあるそれは、脂を搾られると、北前船で西に運ばれ、畑の肥料になった。魚に非ず。肥料と卑下こそすれ、それは巨万の冨を生み、海沿いに鯡御殿が並んだ。
    “魚に非ず"とは、あるいは、魚とは思えないほど大きな富をもたらす意味をこめてのことだったのか。
    ニシンは伝説の魚だ。群がるニシンを漁獲する漁師の姿が民謡、ソーラン節に歌われた盛りの時期は昭和30年を境に消えうせた。
    ♪海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると赤い筒袖(つっぽ)のやん衆がさわぐ北原ミレイが歌った「石狩挽歌」(作詞:なかにし礼)は♪あれからニシンはどこへいったやら破れた網は問い刺し網か・・・と続く。


    魚に非ぬニシンは、鯡のほかに東の方でよくとれたことから「鰊」、北国の春告げ魚であることから「春告魚」とも表す。
    また、東北地方にはいまでもニシンをカド、あるいはカドイワシと呼ぶ地域がある。山形県北東部の最上地方では、ニシンをカドと呼び、好んで食べる風習がある。
    古くから、春とともに最上川をさかのぼる舟で運ばれてくるニシンは、重い雪の季節が去ったことを告げる縁起物なのだ。
    人々はニシンを箱買いし、家族や友人たちと炭火で焼いて食べ、酒を酌み交わした。戦後、ニシンの減少や物流の発達とともに一時廃れたが、1974年に新庄観光協会が春祭りのイベント「新庄カド焼きまつり」として復活させた。
    カズノコの名はアイヌの言葉で、ニシンが「糧(かて)」を意味するカドと呼ばれたことに由来している。ここから、ニシンの子が「かどの子」になり、訛ってカズノコという名が定着した。

    春にとれたカズノコを飽和食塩水に漬けて保存し、いまでは塩数の子や味付け数の子で出回っているが、冷蔵技術が発達する前は天日で干して保存していた。

    昭和30年代、突然姿を消したかのようにニシンの漁獲が激減したことから、かつて乾物屋も店先に山盛りにされた大衆食材の干しカズノコが高騰し、“黄色いダイヤ"と呼ばれるようになった。
    その後アラスカ、カナダ、ロシアなどからの輸入に頼るようになり、国産カズノコが見られるようになったのは平成18年のことだ。
    長年にわたる地道な種苗放流など資源回復に努めた結果、国産の生鮮ニシンが流通するようになったのは平成15年から。その間、実に50年の歳月が流れている。

    回遊魚のニシンは春になると北海道などの沿岸に近づき、メスが産卵。そのあとにオスが出した精子は、海を乳白色に染めるほどダイナミックで「群来(くき)」と呼ばれる。長らく見られなかった群来が平成20年頃から沿岸域で見られるようになっている。


    カロリーやプリン体が多いと魚卵を敬遠するむきもあるが、こと数の子にかぎっていえば、低カロリーにして、トマトやワカメなみの極めて少ないプリン体。くわえて、生活習慣病の予防に効果があるとされるDHAやアンチエイジングに有効なビタミンEが豊富ときている。
    縁起と栄養、うまさを兼ねそなえた逸品、数の子で新年を寿ぎたい。
    ①スケトウダラの卵(巣)は辛子明太子にもなるタラコ、②トビウオはトビコ、④ボラはカラスミだ。